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建築家の人生と役割について [雑文]

建築家の人生と役割

良く晴れた日曜日の午前中、ほぼ1週間ぶりに、車ののエンジンをかけた。
住宅地は、いつもよりも車は少なく、街路の両側に等間隔で並ぶ桜の木は、緑の葉を大きく広げて道路の上の空は、申し訳程度に木々の間から姿見せている。

車の窓を大きく開けると、空気は少し湿っている感じがした。エンジンの音の混じって小さく町の生活の音が聞こえる。
車は住宅街を抜けて、景色は工業団地に変わる。車は都心に向かっている。


その女性建築家は、高度経済成長のころに、吉阪隆正氏や今井兼次氏、渡邊洋治氏、清家清氏等、時代を築いた精鋭に建築を学んだ。
まだ、とても豊かとはいえない時代。のちに訪れる一見華やかで、奇抜さを求めたバブルの時代とは異なり、そこにある技術で、そこにある材料で、全く新しい時代を模索すべく、建築をすみからすみまで突き詰めて、見つめなおしていく。そういう時代だった。
彼女はそんな激しくも緻密に建築を追及した時代に、精鋭や前衛たちのもとで働き、多くの名建築に携わり、そして後に自分の建築を始めた。
そうした経歴のせいか、いつも物腰柔らかく、親切で、品のよい人当たりの中にも、内に抱える情熱がうっすらと垣間見えた。


車は、下町を走りすぎ、山の手ととは思えないほど静かな界隈にぽつんと立っている大庭園の横の、古いがとても手入れの良い、真っ白のマンションの広すぎる駐車場の隅っこでエンジンを止めた。
その女性建築家は、下のロビーまで迎えに出てきてくれていた。上から車が入ってくるのが見えていたそうだ。


このたび彼女は、自分のアトリエを閉じて、長い設計活動に区切りをつけることにしたのだ。年齢と体力から現場に立つのがつらく感じるようになったのだという。
淡々と語ってはいるが、けっして、現場をおろそかにしない彼女の言葉には、自分の作るものに対する、深い執着とこだわりがありありと見えた。
今回、私たちを、呼んでくださったのも、不要となってしまった設計資料のうち使えるものがあれば、もって行って使ってほしいとの、ご厚意からのことである。


彼女の家は、大庭園の裏側に位置していて、東に面した大きな窓からは、公園の木々を通して風が流れ、うっすらと葉っぱのにおいがした。
きちんと整頓されたリビングの6人がけのテーブルを囲んで、いろいろな話をした。その多くは、彼女の周りで通り過ぎ、又共にある、巨匠といわれる著名な建築家の話だった。
彼女の口を通して語られる数々の逸話は、まるでご近所の世間話でも聞いているかのように、身近で親密に聞こえたが、そこに挙がる名前は、かつての私が雲の上の人と感じ、憧れ、作品集や実物を眺めては、思わず溜息をつく。
そういった人たちの名前ばかりだった。

陽射しが、だいぶ傾いて、楽しい時間が瞬く間に終わりに近づいたことを、窓からの光が示していた。


彼女は、宝物にしてもおかしくないような、ある巨匠のサインとメッセージの入った書籍やその値段ゆえ、とても手を出せないような写真集。作品展でもまず目にかかれないような図面、抱えきれないほどの書籍を惜しげもなく私たちに手渡した。
同じ仕事場に在籍していたよしみだろうか、最後に、私にもとてもなじみのある、懐かしい椅子を一脚くれた。
もちろん、わたしが在籍していたのは、彼女が独立したずっとのちのことで、彼女とは共に製図台を並べたことこそなかったが、そこには実物を身近において、過去の知恵と汗を学べという先輩からの励ましを感じた。


車に、いただいた本を積み込み、最後に車の後部ハッチに椅子を積み込むと、椅子はあつらえたように、すっぽりと収まった。
椅子の裏側には、さらに大先輩のいたずらだろう、ありえない値段と図面でよく見たサインが書き込まれていた。
彼女は、それに初めて気づいたようで、それに微笑み、とても喜んでいた。

私たちは礼をいい、広すぎる駐車場を後にした。彼女は車が角を曲がるまで、手を振っていた。


横から差し込む太陽の光と正面に見える、巨大なスカイタワーを視界に感じながら、ひっきりなくなく流れる車の列に合わせて、ハンドルを操作していた。

頭に浮かぶのは、今日の話のことばかりであった。幾度となく出てきた吉阪隆正氏の名前。吉阪先生と呼べる彼女の立場がとても羨ましかった。


建築を学んでみたいと思った高校の最後の夏の終わり、行きつけの大きな古本屋で偶然見つけた一冊の本。
生まれて初めて買った建築の本だった。 吉阪隆正集 第9巻「建築家の人生と役割」

その本は、すっかり手狭になった本棚から追い出されて、今ではのちに買い揃えた残りの全集と一緒にダンボールに納められ、引越しを機会に奥の部屋に積み上げられたままになっている。

きっと、ダンボールを開いて、初心を取り戻すときなのだろう。

よしざかたかまさ.jpg


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