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とぅとぅるー(にじCです その2) [雑文]

とぅとぅるー(にじCです その2)

明るい窓際の机の前にいそいそと座って、タバコを吸ったり、コーヒー飲んだり、まるで仕事をしているかの姿勢作りに余念のない、にじの日常がゆるゆると過ぎて行きます。
そして、窓から広がるのは、代わり映えのない梨畑。今日はおじいさんとおばあさんがやっぱりゆるゆると農薬の散布をしています。
そろそろ、おなかが減ったなどと考えているときに、電話は鳴りました。

「よう、元気?」

電話の主は、最近引退を考えながら、家にいるのが退屈でしょうがない御仁。歳は、にじとは親子ほど離れています。
それもそのはずで、そもそも彼は、にじの母親の友人の旦那で、たまたま十勝に出張で来ていた時に、にじが釣りに誘ったのが交友のはじまりです。

その御仁は、とにかく人があまり入らない、手付かずの自然のあるところが好きで、暇があると仕事に使っている、真っ赤な4輪駆動の大きな車で山にっ入って、山菜をとったり、魚を採ったり(彼の場合には、釣りという限定された枠は全く当てはまりません。)しています。
勿論、獲物は晩酌の肴に美味しくいただく。そんなスタイルが実に、にじ達と良く似ていたのでしょう。それ以来、折につけて一緒にたらふく呑みます。

正直、にじはお酒が大好きです。住む場所と変わるたびにその場所の気候に合わせて、呑んでるお酒の種類は変化している気がしますが、20の頃から休肝をしたことがありません。調子のいいときはウィスキーを2本開けてしまったりします。
御仁は、焼酎一筋です。やっぱり猛烈に豪快に呑みます。
そして、いつも釣りの話や山の話、馬鹿話を交えて、陽気な酒を限界までお互い楽しみます。
御仁は、呑んでいてもよく気の付く方で、遥か年下のにじのグラスの残りを気にかけたり、大きな冷蔵庫から大きな鹿肉の塊を出して、上手にスライスしたり、話に加わりながら自然薯を隣ですり始めたり、
いつもの豪快さとは裏腹に、良く動き、細やかに酒の席を盛り上げてくれます。


さて、また大物でも釣り上げたとの、自慢の報告かと思いきや、彼は唐突に

「白樺の電話番号教えてよ」

「?????」

「あのさ、あれ、あれ、仁義の」(脳内変換の齟齬に気が付いたのは、もう暫くしてからです)

「?????」

「ほら、帯広にあったじゃない」

「ああ、はいはい」


十勝を離れて随分と時間が流れていたので、すっかり忘れていました。空港から帯広に向かう途中の小さな町。通りといえるものはガランとした、広すぎるメインストリートだけ。
中央には生協と付設のガソリンスタンドがあるくらいで、めぼしいものは何もありません、確か家も数件しかなかったと思います。通りのはずれには平屋の小学校があって町はおしまい。
その生協の向かいに、白樺というジンギスカン屋さんはありました。十勝ではとても評判のお店で、昼時にはいつも、そんな小さな町の小さな食堂に行列ができます。
そういえば一度、御仁を案内して行ったことがありました。

受話器の向こうでは、いろいろ話しをしています。


どうやら、不意に白樺のジンギスカンの味を思い出して、食べたくなったとのことです。友人にも併せて、送りたいから店の電話番号が知りたかったようです。本当に不思議な方です。

調べてから、折り返すと伝えたところ、電話の主は思い出したように、

「で、最近元気?」

と付け加えて電話を切った。

最初に訊かれたような気もしますが、彼はそういう人なのです。


白樺のある小さな町は、空港につながる国道を曲がって、車で15分ほどのところにある。国道の周りは畑しかなく、曲がった後は畑と森しかない、人も車もまず見かけないし家すらないような静かな道を進む。
その道の途中で川を2本渡る。戸鳶別川と札内川。上流は釣り人でにぎわう、比較的人気のある川だが、この辺は川に降りにくそうに見え、車も入りにくかったため、釣り人もほとんどなく静かな釣りが楽しめる場所でした。

にじの住んでいたところからは、ちょっとだけ遠かったので訪れる回数こそ少なかったものの、お気に入りの場所だでした。

思えば2代目のデジカメを紛失したのも、このどちらかの川辺でした。

嗚呼、今日もゆるゆる時間が過ぎていく。

しらかば.jpg
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建築家の人生と役割について [雑文]

建築家の人生と役割

良く晴れた日曜日の午前中、ほぼ1週間ぶりに、車ののエンジンをかけた。
住宅地は、いつもよりも車は少なく、街路の両側に等間隔で並ぶ桜の木は、緑の葉を大きく広げて道路の上の空は、申し訳程度に木々の間から姿見せている。

車の窓を大きく開けると、空気は少し湿っている感じがした。エンジンの音の混じって小さく町の生活の音が聞こえる。
車は住宅街を抜けて、景色は工業団地に変わる。車は都心に向かっている。


その女性建築家は、高度経済成長のころに、吉阪隆正氏や今井兼次氏、渡邊洋治氏、清家清氏等、時代を築いた精鋭に建築を学んだ。
まだ、とても豊かとはいえない時代。のちに訪れる一見華やかで、奇抜さを求めたバブルの時代とは異なり、そこにある技術で、そこにある材料で、全く新しい時代を模索すべく、建築をすみからすみまで突き詰めて、見つめなおしていく。そういう時代だった。
彼女はそんな激しくも緻密に建築を追及した時代に、精鋭や前衛たちのもとで働き、多くの名建築に携わり、そして後に自分の建築を始めた。
そうした経歴のせいか、いつも物腰柔らかく、親切で、品のよい人当たりの中にも、内に抱える情熱がうっすらと垣間見えた。


車は、下町を走りすぎ、山の手ととは思えないほど静かな界隈にぽつんと立っている大庭園の横の、古いがとても手入れの良い、真っ白のマンションの広すぎる駐車場の隅っこでエンジンを止めた。
その女性建築家は、下のロビーまで迎えに出てきてくれていた。上から車が入ってくるのが見えていたそうだ。


このたび彼女は、自分のアトリエを閉じて、長い設計活動に区切りをつけることにしたのだ。年齢と体力から現場に立つのがつらく感じるようになったのだという。
淡々と語ってはいるが、けっして、現場をおろそかにしない彼女の言葉には、自分の作るものに対する、深い執着とこだわりがありありと見えた。
今回、私たちを、呼んでくださったのも、不要となってしまった設計資料のうち使えるものがあれば、もって行って使ってほしいとの、ご厚意からのことである。


彼女の家は、大庭園の裏側に位置していて、東に面した大きな窓からは、公園の木々を通して風が流れ、うっすらと葉っぱのにおいがした。
きちんと整頓されたリビングの6人がけのテーブルを囲んで、いろいろな話をした。その多くは、彼女の周りで通り過ぎ、又共にある、巨匠といわれる著名な建築家の話だった。
彼女の口を通して語られる数々の逸話は、まるでご近所の世間話でも聞いているかのように、身近で親密に聞こえたが、そこに挙がる名前は、かつての私が雲の上の人と感じ、憧れ、作品集や実物を眺めては、思わず溜息をつく。
そういった人たちの名前ばかりだった。

陽射しが、だいぶ傾いて、楽しい時間が瞬く間に終わりに近づいたことを、窓からの光が示していた。


彼女は、宝物にしてもおかしくないような、ある巨匠のサインとメッセージの入った書籍やその値段ゆえ、とても手を出せないような写真集。作品展でもまず目にかかれないような図面、抱えきれないほどの書籍を惜しげもなく私たちに手渡した。
同じ仕事場に在籍していたよしみだろうか、最後に、私にもとてもなじみのある、懐かしい椅子を一脚くれた。
もちろん、わたしが在籍していたのは、彼女が独立したずっとのちのことで、彼女とは共に製図台を並べたことこそなかったが、そこには実物を身近において、過去の知恵と汗を学べという先輩からの励ましを感じた。


車に、いただいた本を積み込み、最後に車の後部ハッチに椅子を積み込むと、椅子はあつらえたように、すっぽりと収まった。
椅子の裏側には、さらに大先輩のいたずらだろう、ありえない値段と図面でよく見たサインが書き込まれていた。
彼女は、それに初めて気づいたようで、それに微笑み、とても喜んでいた。

私たちは礼をいい、広すぎる駐車場を後にした。彼女は車が角を曲がるまで、手を振っていた。


横から差し込む太陽の光と正面に見える、巨大なスカイタワーを視界に感じながら、ひっきりなくなく流れる車の列に合わせて、ハンドルを操作していた。

頭に浮かぶのは、今日の話のことばかりであった。幾度となく出てきた吉阪隆正氏の名前。吉阪先生と呼べる彼女の立場がとても羨ましかった。


建築を学んでみたいと思った高校の最後の夏の終わり、行きつけの大きな古本屋で偶然見つけた一冊の本。
生まれて初めて買った建築の本だった。 吉阪隆正集 第9巻「建築家の人生と役割」

その本は、すっかり手狭になった本棚から追い出されて、今ではのちに買い揃えた残りの全集と一緒にダンボールに納められ、引越しを機会に奥の部屋に積み上げられたままになっている。

きっと、ダンボールを開いて、初心を取り戻すときなのだろう。

よしざかたかまさ.jpg


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とぅとぅるー(にじCです) [雑文]

唐突に知人から電話があった、知人といっても遠い親類にあたる、老紳士である。
忘れたころに、ひょっこりと連絡をくれる。
鉄道の旅と北海道を愛して、戦争を憎む、私とはまるで違う立派な方だ。
共通点は、私にもある微妙な鉄心くらいだろうか。

電話の声は、年をまるで感じさせない元気な声で、最近行った北海道の話が中心だった。

こちらとしては、かつて十勝界隈の道と川があるところには、あらかた出没経験があるものだから、
廃線となった鉄路跡の所在も大体察しの付いたということが、彼の興味を引いたのかもしれない。
もちろん彼には、廃線近くの川が釣れるかどうかなんて、どうでもいいことだったのだろうが、
釣りの話にも耳を傾けてくれる。そういう方だった。

彼は、今回の旅で、菅野温泉の廃業を確認し、それを伝えてくれた。
わざわざ、町役場まで出かけ、確認してきたそうだ。

今回はじめて聞いたが、彼は相当の菅野温泉のファンだったらしい。源泉の量など、様々な豆知識を披露してくれた。

菅野温泉には、わたしも様々な記憶がある。
初めて十勝に行った年は、行事や仕事の〆の後、必ずといっていいほど一升瓶を何本も携えて、大勢で菅野温泉に向かった。
同じ、菅野温泉でも彼の言う菅野温泉は温泉旅館のことで、
私の言う菅野温泉は温泉旅館から車で10分ほど山を下ったところにあるキャンプ場の脇の小さな温泉のことだ。

私の菅野温泉は、鹿の湯という名前で、キャンプ場の一番奥の、獣道を下り川伝いに歩いた先にあった。
自然に湧き出た温泉水を石で堰き止め、川の水と混ざることで適度な温泉となっていた。
勿論、川の水位が低いと、とても熱く、増水すると湯船は川の中に消えてしまう。
掘っ立ての壁が二面しかない、名ばかりの脱衣所があるだけで照明何もない、中央にある大きな石を囲んでみんなで浸かったら、8人で一杯になるような、そんな小さな温泉に、若い私たちは夜中に訪れて、月光で酒を飲み、川に飛び込み、薄日が差す頃まで裸で過ごした。

後に、釣りをするようになると、温泉水を含んだ河川に魚を見つけるのは難しく、足が遠のいたのが悔やまれる。

鹿の湯.jpg
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氷箱(びんしゃん) [雑文]

戦いは終わって、日は暮れて、コンペにかろうじて出品できたものの、体調が悪い。
天気が悪いから、さらに空気が重い。
そして寒い。

相方も出品してから、体調を崩して3日目、今日はあきらめて病院に行った。
こちらも、午前中で仕事を切り上げて、風呂にでも入ることにする。

作品の発送の3日前に、冷蔵庫が息を止めた。十勝の時から使っている、日立製の青い奴。
なかなか、いい奴だったが、それどころではない状況だったので3日間放置、そして作品提出後に重い体を引きずって、家電量販店に向かった。

直る見込みがあるものかと、サービスセンターに問い合わせたが、部品保有期間を過ぎているとのことで、修理の当てもないようだ。確かに購入から9年位だと思うが、それまで不調の兆しもなく、元気良く動いていただけに腹立たしい。
見た限りの異常は操作パネルだけのようで、デモやらお金マークやらタイマーマークなど見たことのない表示が、いつも見ている表示と共に、延々点滅を繰り返すばかりで、コンセントの抜き差しにも応ぜず、コンプレッサーも、モーターも動くそぶりを見せなかった。

どうやら、脳みそが逝ってしまったみたいだ。
やれやれ。

タイマーでも付いているかのような、正確な部品保有年数とのリンクに
さらに、やれやれ。

人間で言ううつ病的なものかな、
みたび、やれやれ

青い子はドナドナされて、新しい子がやってきた。
やっぱり、日立製。
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仲良くしてくれるな?
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歩くには、やっぱりレイディオ体操 [雑文]

踏み出すのは、本当に気が重い。特に体調を崩しているせいもある。
毎朝のラジオ体操が歩みに勢いをつけてくれるかな。
そうだといいのにね。

まず、メインタイトルを見て、違うことイメージしてきたらごめんなさい。

とても紛らわしい表現です。JAROに通報してください。
でも、あの動画はとても衝撃的でした。でもこのブログとは何の関係もありません。

とても昔に、まだ十勝にいたころに、釣り情報を検索していて、つくちてといっしょに偶然に引っかかっただけなんですよね。

でも、やっと世の中に「はじめの一歩」できましたので、ブログなんかしてみることにしました。

うちのにじです。にじ.jpg
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